秋田の進藤諒介ちゃん事件の畠山博容疑者は以前に「秋田まごころ大賞」を受賞しそうになった名士???
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下記は2001年7月の記事の抜粋である。最初に要約しておく。
<要約>
バス停で待っていた親子連れを、通りがかりの車が拾い、目的地まで送った。後日にその親子がこの事を新聞に投稿し、親切な運転手として反響を呼んだ。だが、親子は運転手の名前を聞いておらず、誰かは不明であった。
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この親切な運転手を「秋田まごころ大賞」の対象者にしようと、新聞で名乗り出てくれるように連絡を呼びかけた。畠山博さんが名乗り出た。
しかし、直前で受賞を辞退した。
下記は2001年7月の記事の抜粋である。最初に要約しておく。
<要約>
バス停で待っていた親子連れを、通りがかりの車が拾い、目的地まで送った。後日にその親子がこの事を新聞に投稿し、親切な運転手として反響を呼んだ。だが、親子は運転手の名前を聞いておらず、誰かは不明であった。
この親切な運転手を「秋田まごころ大賞」の対象者にしようと、新聞で名乗り出てくれるように連絡を呼びかけた。畠山博さんが名乗り出た。
しかし、直前で受賞を辞退した。
奥入瀬くん
平成10年の春、沖縄・那覇市の嘉手川素子さんから、丁重なお手紙と泡盛を頂いてしまった。十和田湖で受けた親切な青年探しの御礼である。大したことをした訳ではない。
平成8年の夏、嘉手川さん親子三人が、奥入瀬駅伝で遅れたバスを待っていたら、通りがかりのホンダシビックが止まって話しかけてきた。運転していた東北訛りの青年から休屋まで送ってもらった。お陰で盛岡までの高速バスに間に合い、予定どおり盛岡、花巻に行くことができたという話。
彼女はその体験を秋田魁新報「えんぴつ四季」に投稿された。それを見た読者がかえって感激し、沖縄の彼女のところへ感謝の手紙と秋田こまちがどっさり送られてきたと聞く。
そこで、秋田市立千秋美術館長(当時)の渡部誠一郎さんとまごころホンダシビックマンを探そうと考えた。もし見つかったら彼に「秋田まごころ大賞」を受けていただき、沖縄にいってもらおうという訳である。渡部館長は車の中にあったという報道の腕章からマスコミ関係者だろうと八方探したが不明。私は陸上関係者だろうと、秋田市の陸連やホンダ車のデーラーを当たったが不明。そこで、秋田魁新報の仁部正志社会部長(当時)にお願いして記事にしてもらった。載った。平成10年4月8日。嘉手川親子の写真入りで見出しに、十和田湖で親切にしてくれたあの青年に会いたい。2年前に本紙に投稿、「ぜひお礼を」吉報待つ。
見つかった。四月一九日。大館市の畠山博さん(三五歳)。嘉手川さんは彼のことを「奥入瀬クン」と呼んでいた。奥入瀬クンは日本陸連公認審判員で、当日、十和田八幡平駅伝の手伝いをするため、休屋に向かっていく途中で、奥入瀬のバス停で待つ3人の親子連れを見つけたのだった。
畠山さんはいう。「女性が時計をとても気にしているので『急いでいるのかな』『同じ方向なら乗せてあげよう』と思って声を掛けた」
ダッシュボードの上に「報道」と書かれたステッカーがあったが、駅伝大会当日、広報車として畠山さんの車が使われたためだった。
さて、奥入瀬君に秋田まごころ大賞を受けてもらうのに、会を作って審査をしてもらわなければいけない。渡部館長と相談し、その組織をまごころ秋田共創委員会(仮称)とした。
主旨:とてつもなく秋田県民に感動を与えたまごころ行為に秋田まごころ大賞を受けていただき、まごころ秋田の再生をすすめる。
基金:県内外の有志から一口1万円を出資していただき、まごころ基金として秋田まごころ大賞 の副賞とする。
平成11年2月27日・秋田パークホテルにて設立準備委員会を開催。
平成11年5月1日。秋田市・榮太楼旅館。秋田まごころ大賞審査会(新野直吉委員長・元秋田大学学長)が開かれた。大賞候補が3人ほどあげられたが、お願いした審査委員8人の満場一致で畠山博氏に決まった。
大館の畠山さんに電話し、受賞の内諾をえた。仕事の忙しく土曜日だったら出席できるというので、6月5日(土)に授賞式を開催することとした。沖縄の嘉手川素子さんに連絡するととても喜んでくれて、授賞式に出席するといわれる。
ところが、なぜか突然、奥入瀬君から受賞辞退の電話があった。ほんとに困った。もう一度審査委員会を開く余裕はない。委員の方々に電話して、秋田市川反で小料理店を経営していた方を紹介し、推薦した。よかろうとあいなった。
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